東京高等裁判所 昭和60年(行ケ)32号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の特許請求の範囲の記載及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであること、並びに本願発明の要旨が本件審決認定のとおりであることは、当事者間に争いがないところである。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 本件審決は、次に説示するとおり、引用例の記載事項の認定を誤り、かつ、本願第一発明と引用例記載の方法とを対比するに際し、本願第一発明における糸ピツチを一・三mm以上に保持して糊付け、糊絞り、毛羽伏せ、加熱シリンダによる乾燥を行うという一連の工程を組み合わせた構成の技術的意義及びその奏する顕著な作用効果を看過した結果、相違点についての認定判断を誤り、ひいて、本願第一発明は引用例の記載事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるとの誤つた結論を導いたものであり、この点において違法として取り消されるべきである。
前示本願発明の要旨に成立に争いのない甲第二号証(本願発明の公開特許公報)、第三号証(昭和五七年七月二日付手続補正書)及び第四号証(昭和五八年四月一八日付手続補正書)を総合すれば、本願第一発明は、紡績糸の経糸の糊付乾燥に関する改良された方法に関する発明であつて、紡績糸の一枚の織物を製織するのに必要な経糸の総本数を同時に糊付乾燥して一本の織機ビームに巻き取る従前の方法には、例えば、糊付乾燥中、糸の配列密度が高いので、接触により糸同志が接着し、あるいは糸の配列が乱れて糸がもつれ合い、乾燥後巻取部において分割棒及び筬で糸を分割する際、糸切れ、毛羽の発生、糊落ちなどが生じる場合があり、また、糸の接触、毛のもつれにより糊付けが不充分になつたり、乾燥能率が悪くなつて乾燥むらが生じたりする場合があり、更に、糊付乾燥作業中に、糊付工程で糊絞りされた糸が糊絞りローラ面より離れる際、糸に生じた毛羽の毛羽伏せ処理や前工程の整経工程で整経中の糸切れ補修の際に往々生じそのまま残つている糸のねじれを取除き処理することは困難で、毛羽伏せ不充分のまま、糸がねじれたまま織機ビームに巻き取られるから、後に織機ビームを織機にかけて製織する際の製織効率が悪く、また、糊付乾燥時に糸のねじれ部分を取除き処理しようとする場合には、糊付乾燥機の運転を停止しなければならないから、作業能率が悪くなるという種々の欠点があり、紡績糸の良好な糊付糸を能率よく生産することは困難であつたことから、これらの欠点のない、すなわち、糊付けの不足や乾燥むらがなく、かつ、毛羽のない良好な糊付糸を能率よく生産する紡績糸の経糸の糊付乾燥方法を提供することを課題ないし目的とし、本願発明の特許請求の範囲(1)記載のとおりの構成を採用したもので、その特徴とする構成は、整経ビームよりシート状にして引き出した多数の紡績糸の糸条を一・三mm以上の糸ピツチに保つて、糊付け、糊絞り、毛羽伏せ処理をし、加熱シリンダに巻架して乾燥させるという一連の工程を組み合わせることにあり、右構成により、経糸は分離した状態で糊付乾燥され、かつ、毛羽を伏せた経糸が加熱シリンダの接触面において、その撚りによるトルク性により微小な往復転動をして、毛羽のない円形断面の良品質の紡績糸の糊付乾燥糸を能率よく生産することができるという作用効果を奏するものと認められる。そして、本願第一発明において糊付け、糊絞り、毛羽伏せ、乾燥の各処理に際し、糸ピツチを一・三mm以上に保つ構成の技術的意味をみるに、前掲甲号各証によれば、本願発明の明細書の発明の詳細な説明の項には、前認定の本願第一発明の作用効果に関する記載に続いて、「糸経〇・一五四mm以上の40番手以上の細い紡績糸の経糸を糊付け乾燥する場合、糸ピツチを一・三mm以上に保てば、毛羽の多い紡績糸の経糸がその強い撚りによるトルク性によつてガイドローラや加熱シリンダ等の接触面において転動したときにも糸同志の接触が避けられ、また、経糸が糊付けにより膨潤したときにも糸同志の接触が避けられ、経糸を分離した状態で糊付け乾燥することができ、糸同志の接触によつて生ずる従来の欠点ないし弊害がなく、糊付乾燥が均一に能率よく行われる。」(甲第四号証第二頁第七行ないし第一六行)、「更に、糊付けした紡績糸の経糸を、糸ピツチを一・三mm以上に保つた上、毛羽伏せ処理した後に、加熱シリンダに巻架して乾燥すれば、糊付けした経糸が糊絞りローラより離れる際に発生した毛羽を伏せた状態で加熱シリンダに接触し、毛羽を伏せた経糸が加熱シリンダの接触面において糸同志が接触することなく往復転動をして、円形断面の糊付乾燥糸になる。」(同号証同頁第一七行ないし第三頁第四行)旨の記載があることが認められるところ、右記載内容に本願発明の明細書(前掲甲号各証)の発明の詳細な説明の項中右記載の前後の記載内容及び本願第一発明の特許請求の範囲に経糸の太さについて限定するところがない点を総合勘案すれば、右記載は、そこに例示の経糸の太さ以上の細い紡績糸の糊付乾燥処理の場合、糸ピツチを一・三mm以上に保てば、毛羽伏せ処理をしなくてもよいことを説明しているものと解するのが相当であり、以上の各事実を総合参酌すると、本願第一発明において、糸ピツチを一・三mm以上に保つことの技術的意義は、そのようにして糊付け、毛羽伏せ処理をすれば、紡績糸の太さいかんにかかわらず、糸同志が毛羽によつて連結されることがないことから糊付乾燥が均一に行われ、しかも、経糸がその強い撚りによるトルク性によつて加熱シリンダの接触面において往復転動することが妨害されることなく許容され、その結果、円形断面の糊付乾燥糸を得ることができるという点にあるものと認められる。
他方、引用例が本願発明の特許出願前に日本国内で頒布された特許公報であることは、原告の明らかに争わないところであり、引用例に本件審決認定のとおりの事項が記載されていること(「乾燥機に導入して乾燥する」及び「この方法によると糸切れ、毛羽立ちが少ない」との認定部分を除く。)は、前示のとおり原告の認めるところであり、また、右原告の自認する引用例の記載事項に成立に争いのない甲第五号証(引用例)を総合すれば、引用例の特許請求の範囲の項には、「多数の糸条を並列せしめて糊付し、これを多段に分割せしめて乾燥機等に導入する如き糊付方法において糊付絞りローラーと乾燥機導入口間等に設けた糊付糸分割案内棒表面に常時、あるいは適宜間隔をおいて、あるいは停止時に冷水又は薄い糊液を噴霧して該表面に適度の湿気を付与することを特徴とする糸の糊付分割方法。」との記載が、その発明の詳細な説明の項には、「本発明は多数の糸条を平行にならべて糊付し、これを分割して乾燥機等に供給するに際し、糸の分割を極めて無理なく、かつ毛羽立ちを防止しながら分割し、分割棒に糊が付着したことによる毛羽搦み等によつて糸の切断を起さず、糊付糸を円滑に走行させることのできる糸の糊付分割方法に関するものである。」(甲第五号証第一頁第一欄第一六行ないし第二二行)、「本発明は・・・糊付槽の絞りローラーと乾燥機との中間の分割案内棒に近接して上方に噴霧機を配し、常時あるいは定時的又は不定期的間隔をおいて、あるいは糸の停止時に冷水又は薄い糊液を分割案内棒上に噴霧し、その表面を適当に湿らせ、糸に付着している糊剤が分割案内棒上に付着するのを防止し、糸離れを良好にして、糸切れを防止しようとするものである。」(同号証第一頁第二欄第六行ないし第一四行)、「本発明は以上のように糊付直後の分割案内棒8、9上に冷水、あるいは薄い糊液を撒布して毛羽立ち、糸切れを防止しようとするものであり、噴霧による適度の湿り効果によつて糊付糸の糸離れは従来の分割方式に比較して頗る良好であり、毛羽立ちも少なく、従つて糸切れ数も極めて減少し、品質の向上、生産の増大に著しく寄与するものである。」(同号証第二頁第三欄第一〇行ないし第四欄第五行)との各記載があり、また、その第1図には乾燥機10として乾燥室が図示されていることが認められ、これらの事実を総合すれば、引用例記載の発明は、多数の糸捲を配置したクリールから引き出した糸条を、分割案内具を経て多数の並列糸条とし、イマージヨンローラ、絞りローラ及び張力調整再絞りローラを備えた糊付槽内で糊付処理を施し、次いで、冷水又は薄い糊液の噴霧で湿潤した分割案内棒によつて多段に分割するとともに、この分割時に分割案内棒の湿り効果によつて毛羽立ち、糸切れを防止し、乾燥機、具体的には乾燥室に導入して糸条の乾燥を行う糸条の糊付乾燥方法に関する発明で、糊付直後の分割手段を改良することにより、未整経糸の糊付直後の糸分割の際に生じる毛羽立ち、糸切れを防止することを目的ないし課題とし、この課題を解決する技術的手段を開示したものであつて、糊付けに際して糸相互が毛羽によつて連結しないようにするため、糸ピツチを一定間隔以上に保つて糊付け、糊絞り、毛羽伏せ処理をし、加熱シリンダを用いて乾燥させることにより、糸切れ、毛羽立ちの少ない断面円形の糊付乾燥経糸を得るという本願第一発明の有する前認定の技術的思想については何らの開示も示唆するところもないというべきである。被告は、本願第一発明において、加熱シリンダによつて乾燥された糊付糸が円形断面となり、乾燥室において熱風乾燥された糊付糸が円形断面とはならない理由あるいは証拠は何も示されておらず、また、乙第一号証を挙示して、加熱シリンダによる乾燥は、糊付けされた糸が直接シリンダ表面に接して乾燥されるので偏平化は免れないが、乾燥室における熱風による乾燥は、糸が熱面に接することなく行われるので、糸の形態、性状を損なうことが少ないとされている旨主張する。なるほど、成立に争いのない乙第一号証の第二六九頁第一五行ないし第一八行には、「のりつけされた糸は直接シリンダ表面に接して乾燥されるので、偏平化はまぬかれない。」旨の記載があることは認められるが、経糸の糸ピツチを一・三mm以上に保つたうえ、糊付け、毛羽伏せ処理をした後に、加熱シリンダに巻架して乾燥すると、円形断面の糊付乾燥糸が得られること、並びにその理由は、前認定説示のとおり、本願発明の明細書及び図面から十分に認めることができるから、右乙号証の記載をもつて、直ちに、本願第一発明の各工程を組み合わせたことによつて奏する右の作用効果を否定する根拠とすることはできず、他にこれを覆すに足りる証拠はない。したがつて、被告の右主張は採用することができない。ところで、本願第一発明と引用例記載の方法との間に、本件審決認定のとおりの一致点(「糸相互を引き離した状態で糊付けする」との認定部分を除く。)及び相違点<1>ないし<5>があることは、原告の認めるところ、原告は、本件審決は、引用例の記載事項の認定を誤り、かつ、本願第一発明における一連の工程を組み合わせた構成の技術的意義及びその奏する顕著な作用効果を看過した結果、引用例との対比に当たり、本願第一発明を各構成要素に分解し、右各構成要素との関係を考慮することなく、相違点を認定したうえ、各相違点ごとに個別に検討を加えただけで、発明の進歩性を判断するに当たつて比較検討すべき対象を誤つた旨主張するから検討するに、前認定説示したところによれば、引用例記載の発明は、糸条の糊付直後の分割手段を改良し、分割に際して生じる毛羽立ちや糸切れを防止することを目的ないし課題とする糸条の糊付乾燥方法に関する発明であつて、多数の糸条を並列させて糊付けするまでの工程は従来公知の方法であるところ、この従来の方法では、糊付けに際し毛羽ないし糸自体が接着し、あるいは糸の配列が乱れて糸がもつれ合う等の欠陥があり、本願第一発明はこの欠陥を克服することを技術的課題の一つとしているのに対し、引用例記載の発明がこの点の課題について全く認識を欠くものであることは明らかであり、また、本願第一発明の奏する顕著な作用効果は、引用例記載の発明から予測し得ないものというべきである。そうすると、引用例記載の発明において、糸相互は分離された状態で糊付乾燥されており、糸相互間の距離は糸相互が接触しないような距離であると理解できるとの本件審決の認定(相違点<2>についての認定)は誤りというほかない。また、本件審決は、相違点<4>について、糊付糸の乾燥は、加熱シリンダによる乾燥、乾燥室を通すホツトエアー乾燥あるいはその両者の併用等が古くから実施されており、そのいずれを採用するかは当業者の適宜決定し得る程度のことである旨認定判断するが、本願第一発明は、糸ピツチを一・三mm以上に保つて糊付け、糊絞り、毛羽伏せ処理をする構成のもとに、加熱シリンダに巻架して乾燥させるという構成を採用したもので、そのことにより前認定の顕著な作用効果を奏することは前認定説示のとおりであり、右作用効果に照らすと、加熱シリンダによる乾燥という技術手段のみを採りあげ、それが慣用手段であるからといつて、本願第一発明において加熱シリンダを採用することが当業者が適宜決定し得る程度のものということはできない。これを要するに、本件審決の右認定判断は、一連の工程の組合せからなる本願第一発明の特徴的な構成の技術的意義及び顕著な作用効果を看過したものというべく、その結果、この点についての認定判断を誤つたものというべきである。被告は本願第一発明の方法は、各工程が密接不可分に結合しているものということはできず、個々に他の均等手段と置換し得るものであるから、構成要件に分説して引用例記載の発明と対比した点に誤りはなく、また、本願第一発明は、個々に分解し得る工程を単に経時的に結合したものにすぎないから、本願第一発明の奏する効果は、個々の工程の奏する作用、機能が単純な和として表われたものにすぎず、各工程が結合したことによつて予測される以上の格別のものではない旨主張するが、本願第一発明は、前認定説示のとおり、一連の工程を組み合わせることにより、毛羽のない円形断面の良品質の紡績糸の糊付乾燥糸を能率よく生産することができるという引用例記載の発明から予測し得ない顕著な作用効果を奏するものであるから、被告の右主張は、採用することはできない。この点に関し、被告は、整経糊付方法において、糊付時の糸ピツチを一・三mm以上とすることは、当業者において周知の事項であり(乙第三号証)、乙第三号証記載のワープサイジングマシンは、主としてフイラメント糸の糊付に使用されるものであるが、このようなワープサイジングマシンが紡績糸の糊付けにも適用されるということも、また当業者において周知の事項であるから(乙第四号証)、本願発明において、糸ピツチを一・三mm以上と規定した点は、糸相互が接触しない距離を規定したものと解し、引用例記載の方法と実質的に相違しないとした本件審決の判断に誤りはない旨主張するところ、成立に争いのない乙第三号証によると、その第五六二頁ないし第五六三頁のb項には、糊付乾燥糸の糸ピツチを一・一二mmないし一・三五mmとしたこと、糸の密度があらく、糸が完全に分離された状態で糊付けできるので、被膜の形成がよいこと、及び乾燥方式は熱風式を主体としており、半乾燥後はシリンダを数本併用して熱効率の向上を計るという旨の記載があることが認められるけれども、右の記載からは、糸が分離された状態で糊付けされ、糊形成をよくするように糊付乾燥糸の糸ピツチを一・一二mmないし一・三五mmと糸密度をあらくしたこと、及び乾燥の熱効率を向上させるため熱風式のほかに熱シリンダを併用したことを読み取ることができるにすぎず、右乙第三号証に、糊付時の糸ピツチを一・三mm以上に保ち、かつ、加熱シリンダを用いて乾燥する構成を組み合わせ、その組合せにより、糸切れ、毛羽立ちの少ない断面円形の糊付乾燥経糸を得るという本願第一発明の企図する前認定の技術的思想が開示又は示唆されているものとは到底認めることができないから、被告の右主張も採用するに由ない。
そうすると、本件審決は、引用例の記載事項の一部の認定を誤り、かつ、本願第一発明と引用例記載の方法とを対比するに際し、本願第一発明の一連の工程を組み合わせた構成が有する技術的意義及びその奏する顕著な作用効果を看過した結果、右相違点についての認定判断を誤つたものというべく、これが本件審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、その余の点について判断を加えるまでもなく、本件審決は違法として取消しを免れない。
(結語)
三 以上のとおりであるから、本件審決を違法として、その取消しを求める原告の本訴請求は、理由があるものということができる。よつて、これを認容することとする。
〔編註その一〕 本願発明の特許請求の範囲は左のとおりである。
(1) ビームスタンドに仕掛けた整経ビームよりシート状にして引出した多数の経糸の糸ピツチを一・三mm以上に保つて、糊付部で糊液中を通過させた後少くとも二度糊絞りして経糸に糊付けし、引続き毛羽伏せ部で糊付けした経糸を水または薄い糊液で表面を湿潤したロツド及び筬の針に摺接させて毛羽伏せ処理した後、乾燥部で加熱シリンダに巻架して乾燥し、乾燥後巻取部に仕掛けたビームに巻取らせることを特徴とする紡績糸の経糸糊付乾燥方法(以下「本願第一発明」という。)。(別紙図面(一)参照)
(2) 経糸の進行方向に順次配置したビームスタンド部、糊付部、毛羽伏部、乾燥部及び巻取部からなり、糊付部には、ビームスタンド部のビームスタンドに仕掛けた経糸ビームよりシート状にして引出した多数の経糸を一・三mm以上の糸ピツチに配列する筬と、少くとも二度糊絞りするに必要な数の糊絞りローラを備えた糊付装置を設け、毛羽伏部には、糊付け湿潤した経糸の上、下面に接する少くとも二本の毛羽伏せ用ロツドと経糸を一・三mm以上の糸ピツチに配列する筬、及び上部に前記ロツド、筬に水または薄い糊液を噴霧する噴霧管を設け、乾燥部には、毛羽伏した糊付け経糸を巻架する加熱シリンダを設け、巻取部には、乾燥した糊付け経糸を一・三mm以上の糸ピツチに配列する筬、巻取りビームを仕掛ける巻取装置をそれぞれ設けたことを特徴とする紡績糸の経糸糊付乾燥機。
〔編註その二〕 本件に関する図面は左のとおりである。
別紙図面(一)
第1図
<省略>
<省略>
(以下省略)